2ヶ月に一度、血圧のお薬をもらいに総合病院の内科へ行く。
もうすっかり日常の一部になっている通院だけれど、その日は少し考えさせられる出来事があった。
待合室で隣に座った77歳の女性
待合室で隣に座ったお婆さんが、突然話しかけてきた。
会話の内容からすると、77歳くらいらしい。
身だしなみがとても綺麗で、年齢より若々しく見えた。
多分だけれど、ご自身には子供がいなくて、亡くなったお姉さんの子供たち――甥っ子家族を可愛がっているようだった。
ゴールデンウイークには、その家族たちと一緒にパチンコへ行ったらしい。
「10万円も使っちゃったのよ!」と、少し興奮気味に話していた。
久しぶりのパチンコが本当に楽しかったのだろう。
嬉しそうに、次から次へと言葉が溢れていた。
昔の私は、無理をしていた
過去の私なら、きっと違ったと思う。
ニコニコしながら大きく相槌を打って、
「わあ、それは良いですね」
「楽しかったでしょうね」
そんなふうに相手の話をどんどん膨らませていたと思う。
でも、この年齢になってやっと気づいた。
私は、そういう交流が苦手なんだと。
人に合わせ続けること。
相手を気遣いすぎること。
必要以上に愛想良くすること。
それは優しさだけではなく、自分をすり減らす行為でもあったのだと思う。
もっと早く気づいていたら、その神経をもっと我が子に向けられたかもしれない。
そんな反省も少しある。
「自分を優先する」をやってみた
その日は、当たり障りのない返事をしながら、手元のスマホを見ることにした。
もちろん、嫌な顔をしたわけじゃない。
そこまでする必要はないと思っている。
ただ、私は疲れてしまうのだ。
見ず知らずの人の長話を、ずっと聞き続けることに。
だから、その日は自分を優先した。
スマホを触っていても、隣の話し声は耳に入ってくる。
「スマホ楽しい?」
「仕事してるの?」
「仕事なら仕方ないね、目が悪くなるよ」
そんなふうに話しかけられるたびに、顔を上げて曖昧に返事をした。
でも以前のように、必要以上にニコニコしなかった。
相手の話を広げることもしなかった。
77歳の女性が言った言葉
その女性が、ふとこう言った。
「若いって良いね、色々できて」
私は少し気になって、聞いてみた。
「今、何がしたいですか?」
すると彼女は、急に強い口調でこう言った。
「死にたいよ。早く両親や姉のところに行きたいよ」
その言葉に、一瞬空気が止まった気がした。
言ったあとで、自分でも興奮したと思ったのか、
「私は気性が荒くて、すぐカッとなるから」
そう言い訳するように続けていた。
でも、私が何か返す前に診察室へ呼ばれた。
77歳は、15年後の自分
診察を終えて待合室へ戻ると、その女性の姿はもう無かった。
多分、呼ばれて診察に入ったのだろう。
77歳。
それは、私のたった15年後だ。
生きていれば、私も行く道。
その年齢になって、
「今やりたいことは?」と聞かれて、
「死にたい」
そう答える人生は、どんな気持ちなんだろう。
お金には困っていなさそうだった。
綺麗に整えられた身だしなみから、きちんと暮らしていることも伝わってきた。
でも、人はそれだけでは満たされないのかもしれない。
なんだか、とても切なくなった。
自分を守るということ
だけど、その日の私は少し違った。
「私は他人との会話でストレスを感じる」
それを自覚した上で、必要以上に相手に合わせなかった。
無理に盛り上げなかった。
頑張って笑い続けなかった。
ただそれだけで、私はちゃんと自分を守れていたみたいだ。
病院から帰宅しても、以前のような疲労感が無かった。
62歳になって、ようやく少しだけ、
「自分を優先する」という意味が分かってきた気がする。

