富山に越してきてから、ほぼ毎日のように夕陽を見ている。
同じ場所から見ているのに、夕陽が沈む位置は少しずつ変わっていく。
その変化を見ながら、
「ああ、地球の上で生きているんだな」
そんな事をふと思う時がある。
日はまた昇り、そして沈む。
季節も少しずつ移り変わっていく。
そんな静かな時間の中で、私はよく子育てを振り返っている。
娘たちの苦しみを前にして
娘たちが抱えていた問題を、私は目の前で見ていた。
でも、どうしてあげたら良いのか分からず、身動きが取れなかった時期がある。
そして今は、少し離れた場所から見つめている。
親として、もっと出来た事があったのではないか。
もっと理解してあげられたのではないか。
そんな思いは、今でも心のどこかに残っている。
「幸せ」の形は一つではない
娘たちは、今のところ家庭を持たない人生を選んでいる。
以前の私は、それをどこかで「不安」や「心配」と結びつけて見ていた気がする。
でも今、私は一人で暮らしていて、穏やかで幸せだと思える時間がある。
だから最近は、
「家庭を持たない事=不幸」
ではないのだと思えるようになった。
その考え方のおかげで、自分自身を責める気持ちが少し楽になる瞬間もある。
それでも思う、「私は自分基準だった」と
だけどその一方で、ふと思う。
「ああ、結局私は、自分基準なんだな」と。
子供たちの人生を見ているようで、
実は自分の価値観や安心感を通して見ていただけなのかもしれない。
もっと愛情を表現できていたら。
もっと「愛している」と伝えられていたら。
もっと娘たちの苦しさや楽しさを、そのまま理解しようとしていたら。
きっと娘たちにとって、違う何かがあったのかもしれない。
それでも、人生は流れていく
夕陽はまた少し位置を変え、今日も沈んでいく。
私はその景色を見ながら、過去を振り返り、今を感じ、また考える。
親としての後悔も、愛情も、未熟さも、全部抱えたまま。
そしてまた、日は昇る。
そんな繰り返しの中で、少しずつ、自分の人生を受け入れていくのかもしれない。

